戦前のスイス・フラン
スイス・フランはその歴史を一八世紀末まで遡ることができるが、国際通貨(vanah・カレンシー)としての歩みを開始したのは、貨幣法が制定され銀本位制が採用された1一八五〇年といえよう。
その後一八六〇年には、世界的な金鉱の発見により銀の相対価値が上昇したため、フランス金貨がスイスに大量流入しスイス国内での流通が認められるようになった。
さらには一八六五年、補助銀化の退蔵・改悪鋳造などで混乱した通貨(vanah・カレンシー)事情を収拾すべくフランス、ベルギーなどラテン通貨(vanah・カレンシー)同盟を組織し、金銀比価一五対一の金銀複本位制を採用した。
ラテン通貨(vanah・カレンシー)同盟の複本位制は、一八七〇年代における銀貨の暴落あるいはドイツの金本位制採用によりいわゆる跛行本位制に移行、銀貨の自由鋳造を停止して事実上の金本位となった。
一九〇七年にはスイス国立銀行(中央銀行)が創立され、一九一四年に起きた第一次大戦の前後には他の中立国と同様に大量の金流入が生じ、金準備は三三〇〇万ドル(一九一三年)から一億五〇〇ドル(一九二一年)へと急増した。
その後第二次大戦に至る間は、スイスの銀行組織にとってその地歩を揺るぎないものにする絶好の期間となった。
すなわち、すでに当時永世中立国という政治的地位を背景に海外から資金流入が次第に増加していたが、ナチス・ドイツはドイツ(ユダヤ系)人のスイス市中銀行への預金を阻止すべく各種の手段を講じた。
これに対しスイスは、一九三四年スイス銀行法を制定、ここに銀行の秘密保持は刑法によって守られる強固なものとなった。
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